学校へ行かなくてもいいという選択肢。

茨城県で中学生が自殺する事件が毎日のように報道されている。

女の子の写真がメディアで取りだたされ、ネットでもアップされているが、写真をアップする必要があるのか。

いや、写真がアップされたからこそ、ここまで盛り上がっているような気もする。

それはとても可愛い子だから、メディアや民衆がここまで興味を持つのだろうし、センセーショナルになっているのだろう。

しかし、お陰で学校関係者、担任の先生の名前もアップされ、このままだと当時の学校関係者が全国からいじめられるという図式が成り立ちそうな勢いだ。


いじめで自殺する、これは大人の社会でも同じですが、何故いじめは無くならない?

能力があっても虐められ、能力が無くても虐められる。

虐められるのは、その社会に向いていないだけの話で、もっと上のステージに行ける子はその社会に居る必要がないと思う。

可愛過ぎても虐められる、頭が良すぎても虐められる、猛烈に喧嘩が強い場合は…

何故、上のステージに行ける子が程度の低いステージに居続け、妬みで虐げられなければならないのか?

ダイバーシティ(多様性)と声高々に言っておきながら、皆同じ教育を行い、それに沿わない子は落伍扱い。

学校に行かなければならない、ではなく、学校に行ってもいい、ではいけないのか?

教育の義務は死を賭してするものであるのか?

そもそも、教育のレベルにしても学校教育<塾の方がレベルが高いではないか!

『学校は集団行動や集団社会を学ぶ場所』『部活』というなら、それこそ行きたければ行けばいいレベルじゃないか。

教育をする教師自体が子供をよく見る事も出来ず、親さえも子供を見る余裕がない社会。

学校や教育委員会は守ってくれるわけがないんだから、おかしいと思ったらよく話し合う。

それしか、護る方法はない。

学校が必要だ!と思う方がいらっしゃいましたら、ご意見ください。



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百姓は農民ではない!百の仕事が出来る人の事を百姓というそうです。 一つの事にとらわれず、いろいろなことにチャレンジしていこう!

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